2012年10月2日火曜日

BEYONDするギャングコメディ 北野武『アウトレイジ ビヨンド』

(※多分普通に【ネタバレ】ありだと思います)

 9/25、有楽町のよみうりホールにて『アウトレイジ ビヨンド』の一般試写を見てきました。よみうりホールは映画を見る環境としてはかなり悪いですね。上映中の飲食禁止に加え、映画が始まっても非常口のランプが消えません。場内が明るくて結構見にくいです。そんな事はどうでもいいとして、この映画があの(正に"暴力"的で)唐突な終幕を迎えてエンドロールが流れ始めた時、僕はかなりの衝撃を受けて身体が固まってしまいました。上映が終わり客電がついても、なかなか立ち上がる事が出来ませんでした。「うわーやってくれたよ北野武、快作じゃないかこれは」と打ちのめされた感じです。ちょっと意識が朦朧としたままに感想を書きたいと思います。


 前作『アウトレイジ』については以前の記事で『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』からの文脈で感想を書いたのですが(今思えば『アキレスと亀』について全く触れてなかったですね。観ていた事すら忘れていたという)、僕がこの作品について一番重要に感じているのは、「北野武の最も得意とする所であるヤクザ映画の、その戯画化」です。苦悩する北野武が俳優/スターとして、映画監督といて、芸術家としての自身を自嘲し破壊し(それに失敗し)、そして『アウトレイジ』に於いて徹底的に自身を突き放し客観的に再認識しそれを戯画化する事によって苦悩を超克した。という流れですね。

 その『アウトレイジ』の続編が一体どうなるのか、僕は全く予想が出来ませんでした。前作で苦悩は超克されたはずだし、これ以上何をする事があるのか。『アウトレイジ』はギャング映画としても普通に面白かったのだけれど、では単純にエンターテイメントとしての続編を出すのか。全くどういう態度で観ていいか解らないままに観て、結果的に打ちのめされたという訳です。「ビヨンド」は伊達じゃなかった。これは確かに『アウトレイジ2』なんかではなく、『アウトレイジ ビヨンド』です。


 物語は前作の五年後の世界を描いています。会長の加藤とその右腕石原により山王会は今や政界に通じるまで巨大な組織となっていた。刑事片岡は相変わらず裏でヤクザ達の動きをコントロールし、服役中だった大友を出所させチンピラとして燻っていた木村とタッグを組ませ、大阪の花菱会に強力を扇ぎ山王会に復讐をさせようとする。骨格となるストーリーは大体こんな感じです。
 僕は上記したようにかなり固唾を呑んで展開を見守っていたのですが、そこでかなり意外な事が起こったんですね。上映中、客席で何度と無く笑いが起こるんです。それも僕が知る限り、松本人志の『しんぼる』やコミカルなシーンも魅力の一つである『踊る大走査線』シリーズなんかよりも強烈な笑いが起こっていたかもしれない。僕は戸惑ってしまって、「えっ、今のそんなに笑う所?というか笑っていいのか?」とずっと思っていました。一時は「なんか変なお客さん達に紛れてしまったな」とまで本気で思いかけた程です。

 でも思いとどまって良かった。あまりに自分は緊張しすぎていたのかもしれない。そう思って、もう少しリラックスして観ていると、確かに「これは笑うしかないだろう」というシーンが連発されているんです。それも明らかなギャグがかまされている訳では決して無く、しっかりとギャング映画の展開の中で笑いを起こしているんです。それは片岡が服役中の大友に出所を促し山王会の実情を伝えた所での大友の「刑事がヤクザ焚き付けんのかよ!」というセリフだったり、いざ出所して活動し始めた大友が山王会の組員に不意に腹を撃たれ、その治療中に呟く「何かと腹ヤラれんな」(前作で刑務所の中で大友の脇腹を刺した木村を前にしながら)というセリフであったり、肩の力を抜いてみれば本当に「笑える」シーンが凄く多いのです。

 こんなに笑えるシーンが多発されているのに、映画としてはちゃんとシリアスなギャング映画の体裁が保たれていて、同時にコメディ映画としても機能出来る程に笑えるシーンがある。
 前作の「戯画化」とは、ヤクザを暴力的で合理性の欠けた子供じみた存在として描き出す事でしたが、『アウトレイジ ビヨンド』ではそれに輪をかけて子供っぽくなっているのです。加藤は何も出来ないままに威張り散らすだけだし、石原は出所した大友を怖れてギャーギャー騒ぎまくり(実際に対峙した時に恐怖のあまり失禁までしてしまう)、木村の子分二人は完全に馬鹿で可愛らしい箸休め的な脇役だし、大友のセリフ等も前作と比べて全然カッコ良くないんです。
 これは実はキャラクターだけでなく作品全体に言える事です。大友と組んだ木村が花菱会にその意気を見せるために自らの歯で小指を食いちぎる所など、「前作で大友側に無理矢理切らされそうになった指を、続編では大友のために自ら切り落とす」というかなり単純で熱血なシーンだと思うんです。そして大友達と組んだ花菱会の組員達が東京に乗り込んで次々と山王会系の事務所を急襲していくのですが、それがあまりに強すぎる。「あっけない」なんて言う間もなく一瞬でその場の組員を全員撃ち殺して颯爽と去ってしまう。大友達と組む前に花菱会の幹部が怒鳴っていた「山王会と戦争にでもなったらどう責任とるんじゃ!」というセリフは一体なんだったんだよ、超強いじゃねえかお前等。という感じなのです。これは観ていて僕はウルトラマンの格闘シーンを思い出しました。よく「殴ったりしないで最初っからスペシウム光線出せば勝てんじゃん」というツッコミが入りますよね。あれは本当に子供じみたツッコミで、物語の末のカタルシスであるとか、実はすぐに出せない理由があるのでは、という事は考えないんですね。それが実践されてしまってるのが花菱会の急襲シーンだと思うんです。あともう一つやはり触れておきたいのが、頭に被される黒い袋の存在です。前作では水野が頭に黒い袋を被らされ、車とロープを使った凄惨な殺され方をしますが、あのシーンはあの映画の中でも最も美しいシーンでファンも非常に多いです。今作でも虐殺の際に黒い布が使われるシーンがあるのですが、それが全く美しく無い。ただひたすらに殴られて死んだり、工業用ドリルで顔を突き抜かれたりして死んで行きます。前作を見ている者ならば黒い布が頭に被された時点であの水野の美しい死に様を想起する事は自明で、半ばその期待を裏切るようにして悪趣味で豪快な死に様が画面に広がります。「映画自体が豪快になった」事の象徴になっているのでは無いかと思います。工業用ドリルも歯科用ドリルをド派手に無骨にした感じですよね。

 繰り返しになりますが前作『アウトレイジ』に於ける子供っぽさとは、物語の中のヤクザの達、合理性に欠ける事であり、安易に暴力的で稚拙な事です。
 『アウトレイジ ビヨンド』はどうだったかを纏めれば、作品全体が構造的に子供っぽいんです。しかもそれが結果として「稚拙な映画」として終わっているかといえば決してそんな事はなく、シリアスなギャング映画を描きながらも(構造的に稚拙さを抱えているため)コメディ映画としても機能している。これが僕は素晴らしいと思いました。戯画化された『アウトレイジ』を再戯画化する事によって、遂にはコメディ映画の域にまで達してしまう。北野武は「苦悩を超克した」という一つの過渡期すらをも直ぐに「超克」=ビヨンドして、北野武のそもそもの領域である「笑い」に突入させてしまった。しかもそれが破壊による回帰ではなく再戯画化による洗練で行なわれた超越であるという点が凄い。『TAKESHIS'』等の破壊は内省的で過去の方向へと目を向けた物でしたが、『アウトレイジ』からの『アウトレイジ ビヨンド』ははっきりと未来へ向けて超越が行なわれている。
 『アウトレイジ ビヨンド』はさらに次の段階へと北野映画が「ビヨンド」していく、ギャングコメディ映画としての快作です。

 結末部分まで詳細に触れてしまうのが憚られるのですが(それだけあのラストシーンを僕が愛して止まないという事でしょう)、あの打撃力は凄かった。あれはハッキリ言ってアウトレイジという物語を一発で破壊する力を持っていました。無論この破壊は内省的な破壊ではなく、「これで終わりだ!次に向かうぞ!」という意思に溢れ返った破壊だと思います。暴力をメインテーマにした物語が物語中最強の暴力(最強というのは物理的に強いという意味じゃありませんよ。構築された構造を破壊する力強さ、単純明快さです)で美しく強烈に自壊して終結する。こんなもの見せられて震えが上がらない訳がない!


 という事で観てから数日経ったのにも関わらずまだ意識が朦朧としたまま書き殴ったわけですが、封切りの日にまた見に行こうと思っています。よみうりホールも環境良くなかったしね。
 もう一度観て全く感想が変わったらそれはそれで面白いですね(笑)。ではまた。



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