2012年8月26日日曜日

酷暑と連詩


 もうこの写真からも嫌という程伝わってくる熱気。残暑が厳しいなんてもんじゃないですね、酷暑がいつまで経っても終わりません。信号も赤信号だし。どうなってんですかね。

 僕は季刊26時という現代詩の同人誌に所属しておりまして、昨日はクソ暑い中「紀行連枝」という企画でとある街中をぶらつきながら折々詩を書いて行く、というのをやりました。今回の舞台は谷根千。
 連詩というのは、複数の執筆者がリレー形式で詩を書いて行く形態を言います。前の人が書いた詩、これまでの流れを見た上で自分がどう書くか、という事が重要になりますので、セッション性、即興性が立ち現れる詩の形です。一人で書くのと違い触発されたり仕掛けたりという事が出来るので面白いですよ。


 谷川俊太郎、四元康祐、伊藤比呂美、覚和歌子、ジェローム・ローセンバーグらによる熊本連詩2010


2012年8月24日金曜日

ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』/本広克行『踊る大走査線 THE FINAL 新たなる希望』


 一昨日、吉祥寺バウスシアターにてジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』を観てきました。出来ればタイムテーブル的にその次の時間に上映される『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』も続けて見たかったのですが、完全入れ替え制だったので断念した次第です(「金欠は生活から文化を遠ざける」という金言が心にグサグサ刺さります)。

 初めて見るカサヴェテス作品でしたが、何とも言いがたいというか、単純に面白かった/つまらなかったっていう表層的な感想を撥ね除けて、「俺は今一体何を観たのだろう」という複雑な想いで一杯になりました。
 別段話が難解という事は無いんです。病に冒された(恐らくは統合失調や躁病などの精神疾患と思われる)妻と、その妻を愛し家庭を存続させようと尽力する夫の物語。根幹となる物語自体はシンプルなんですけど、シンプルな根幹を様々な枝葉が浸食し、引き延ばし、混濁させ、一体何が正しいのか、何が良くて何が悪いのか、天国なのか地獄なのか、かなり混乱させられてしまうんですね。
 でも見終わって家に帰って飯を食って寝て仕事に行って、という時間を過ごしているうちに、段々とこの作品から溢れ出てくる「愛」を強く感じてきました。とにかく愛で埋め尽くされている。それはピュアで劇的な愛ばかりではなくて、性愛であったり愛着であったり自己愛であったり偏愛であったり、歪んだ形の愛までもが提示される。
 映画終盤、妻メイベルが精神病棟から退院してきてから、メイベルが精神に異常を来した理由として夫ニックの言動があったという事が明るみになる、という見方が多いみたいですが、では映画の中でニックが「妻を発狂に追いやった大悪人」なのかと言えば、必ずしもそうは思えない。ニックにも確かな愛がある。確かに身勝手な愛(それはメイベルへの愛だけでなく理想とする家庭像への執着としての愛もある)で、オーバードライブした結果「妻も子供も殺す」というとんでもない発言までするのだけれど、最後は妻メイベルと非常に仲睦まじい夜を迎えて映画は終わる。これは一例ですが、そういった風に様々な、一見するとエグく見えるような物も含めて、「愛」に溢れているの映画なのではと思いました。
 めちゃくちゃな事態が重なりに重なった後のラストシーン、ニックとメイベルが一緒に食卓を片付け、ベッドメイクをし、そしてニックが家の照明を一部屋一部屋微笑みながら消してメイベルの待つベッドシーンへ向かって行き、薄いカーテン越しに二人が抱擁している様が見える。という映像など、一組の男女の愛を映した物として、あまりにも美しかったです。さっきまであんなとんでもない事になってたのに、と愕然とするほどです。

 今自分で何となくですが感じているのは、『こわれゆく女』という映画の魅力を、恐らく自分は理解しきれていないだろうという事です。多分これから数年後、三年後だったり五年後がったり十年後だったり、見返した時に新たにその深い魅力に気付けるような気がします。そんな気がします。というか、そんな気にさせてくれた作品でした。観に行って良かったです。
 『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』は残念ながら期間中に観れそうにないので、どこかで又かかるのを待つかTSUTAYAでVHS借ります。





 で昨日はと言うと、知人が"踊る"シリーズの完結作『踊る大走査線 THE FINAL 新たなる希望』の完成披露試写会のチケットを抽選で当てまして、それに一緒に行ってきました。会場は有楽町は国際フォーラムのホールAです。国際フォーラムに来るのなんて本当に久しぶり。完成披露試写会なので舞台挨拶がありまして、織田裕二を始め主要キャストが舞台上に現れて挨拶などしてくれました。

 『踊る大走査線』がテレビドラマとしてスタートし、そして第一作目の映画が公開された時、僕は未だ小学生でした。実はその頃熱心に観てたんですね。なのでそのまま流れと言うか、『踊る大走査線』の映画はこれまで欠かさず観て来てたんです(スピンオフ作品とかは全然観てないんですけど)。だからずっと観て来たという意味に於いては実は愛着があるシリーズなんですね。
 そして今回のシリーズ最終作を観るに当たって、僕が一番気にしたのは一つの映画作品として面白いかどうかよりも、「湾岸署の物語を一体どう終結させるのか」という点でした(それだけと言っても過言ではない)。今回で映画は四作目になりますが、それを期待させるような流れが出来ていたと個人的に思っていたんです。

 映画一作目、面白かったです(もうずっと観てないですが)。
 二作目は「前作と同じフォーマットを続けるのはどうなの」と興醒めしました。論外。
 三作目、これが個人的に結構重要でした。これは『踊る大走査線』というフィクションの物語がフィクションとしてのアイデンティティを再獲得するために奔走してる作品で(現実にお台場に「警視庁湾岸警察署」が設置された事が多いに関係してると思ってます)、それが故に全体的にクサすぎてエンタメ作品としても面白くないのですが、作品の中での重要トピックである「湾岸署の引っ越し」=新たに"湾岸署を再獲得"する、そのためだけの映画だったと思っています。だから面白くなくてもまあ仕方ない(とも言える)。

 そして四作目。「真の新しい湾岸署の物語が始まり、そして終わる」と思って期待した上で観ました。
 四作目、個人的には良かったです。作品のエンターテイメントとしての面白さとかは、その辺ではトンデモさとか納得しにくい部分も多々あったのですが、それはこの際話の外に置いておきたいです。

 劇場公開前に【ネタバレ】気にせず書いちゃうんですけど、今作ではゾッとするくらいに湾岸署の物語が破滅の危機を迎えます。それも隠れた所に潜んでいた火種によって。
 すみれさんは映画二作目で受けた銃撃の後遺症(の悪化)によって辞職を決意し、警察上層部の権力とこれまでずっと戦って来た室井と青島は上層部の隠蔽工作に巻き込まれて辞職に追い込まれ、キャリアとしての階段を着実に昇って来た真下の、過去に下したキリャア故の厳しい判断が引き金となり陰惨な事件が引き起こされ自身の息子が誘拐され・・・と、かなり悲惨な自体が起きます。かなり暗澹としています、絶望です。
 ですがこの絶望的な表層を支えている裏側がかなり複雑な事になっていて、結果的にはこの絶望が炸裂するように解決し、全ての危機は回避され、室井を中心とする警察組織を抜本的に改革していくための委員会が設置されたりして、希望に溢れたラストを迎えます。

 このラストは、青島と室井、要するに『踊る大走査線』という物語がずっと抱えていた問題である「あまりに政治的である上層部と理解されない末端の現場」が解決される方向にドラマが遂に動いた訳で、シリーズ最終作としてとても相応しい結末ですし、それがあの強烈な"破滅と絶望"を乗り越えた末に劇的にやって来る結末なので、カタルシスに近い感覚があります。

 なのでこれまで"踊る"の映画を観て来た一ファンとしては、見終わって「こうやって終わってくれてよかったな」という安心にも似た気持ちでした。

 でもですね、さっき話の外に置いてとか何とか書きましたが、映画作品としてはどうなのかなと思う事もやっぱりあります。トンデモな場面とかがあるのは未だエンタメ作品として仕方ないとして、「裏側がかなり複雑」と書きましたが、本当に複雑です。というか実は異様に入り組んでいるという程ではないのだけれど、バラしの場面が非常に少ないので、観る人によっては訳が解らない映画になってると思います。
 僕もちゃんと構造を把握出来たのかちょっと不安なのですが・・・、鳥飼が警察組織を改革したいがために、真下の過去の"厳しい判断"によって傷つき恨みを持った警察職員をそそのかして事件を起こさせ、それは要するに現役の警官に寄る殺人事件であるために上層部はそれを隠蔽しようとし、その必然的に現れた隠蔽を鳥飼が告発する。という事で、合ってたんでしょうか、僕はそう読みました。結構複雑ですよね。この裏の構造に表層の青島などのキャラクターが翻弄されていくのだから、また読みにくくなります。
 この複雑な構造は、「やったー!踊るの新作だー!」と楽しみワクワクで観に行く感じのお客さんには伝わらないんじゃないかと思います。解りやすくてハデなエンタメ部分だけを楽しんで、後は「よくわかんなかったけど良かったかな」みたいな感想になっちゃうんじゃないかと思います。それってもしかして、シリーズ最終作としては良くないのかな・・・?
 最終作という事で脚本が意気込みすぎていたのかもしれませんね。もしかしたらもうちょっと水増しして解りやすい場面とか増やしたら映画二本分とかになったかもしれない。


 今日は仕事終わってから髪を切りに行きます。夜はたぶん普通に出かけるので、それまでにこの前テレビで録画した『大鹿村騒動記』を見れたら見たいですね。


 なんか映画の事ばっかり書いててシネフィルみたいでアレというかただの映画ファンのブログみたいになってますが、僕の本業は音楽、副業は現代詩です。その辺の話も出来る時はしたいです。

2012年8月20日月曜日

私立恵比寿中学/小津安二郎『東京物語』




 昨日は横浜クイーンズスクエアで私立恵比寿中学のライブを見てきました。ぁぃぁぃの歌声が冴えてましたねー、真山のパフォーマンス/アピールも最高だった。りななんの聖誕祭もとっても素敵で可愛らしかった。夜は渋谷でハイボールを0.7ガロンくらい飲みました。近いうちにアップアップガールズ(仮)のライブにも初めて行けそうなので楽しみ!

 で今日は仕事が終わった後に吉祥寺バウスシアターのカサヴェテス週間に行こうかと思ったのですが(『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』と『こわれゆく女』が目当て)今月から来月上旬の予定を考えて後日に回しまして、部屋で小津安二郎『東京物語』を見ていました。二時間心の涙腺が決壊しっぱなし。なんて言うか個人的な諸々の想いが強く喚起されすぎて、「良い作品だ」と思う気持ちより先に嬉しいんやら憂鬱なんやらで訳が分からなくなって、こりゃ一旦冷静にならないとと思って北池袋のドンキホーテに買い物に行きました。外人ばっかりいて気が滅入りました。
 ともかく『東京物語』、初めて見た小津安二郎作品でしたがとても静かで暖かくも寂しい映画でした。大変な魅力なのが、主人公である老夫婦の物語が、寂しいながら幸せな物なのか、不幸な物なのか、非常に微妙で解りにくい所ですね。全体的に見たら「寂しくて不幸」に見えるんだけど、でも絶望ばかりではないし、劇中で登場する「お前ですら不満だ」とか「私達は全然良い方」というセリフが、皮肉めいて聴こえるようなでも本当に幸福の裏打ちになってるような、凄く微妙なんですよね。それがむしろ生々しくて、人生が幸福だったか不幸だったか、そんなもん客観的に決定出来ないよなと思わされました。古典の名作に今更こんなコメントするのも憚られますが・・・。人間を描く映画として、久々に『歩いても 歩いても』とか観たいですね。



限界的状況と詩 園子温『ヒミズ』


 先月だか先々月、居酒屋で食べたサーモン刺しが当たってエラい目に遭ったのだけど、その日は居酒屋に行く前に何をしていたかというと早稲田松竹で園子温『ヒミズ』を見ていた。劇場で公開された時に二回見に行っていたから、スクリーンで見るのはそれが三回目。

 映画監督の自作についてのインタビューを読む機会はあまり無いのだけど、殊園子温監督のインタビューはどのレビューよりも面白い"解説"になっていて(自作なんだから当たり前だろ感もあるかもしれませんが、映画のレビューも楽曲のアナライズみたいな物で、作った本人より分析した人間の言葉の方が面白い事が圧倒的に多い気がします)、読むのが結構楽しみだったりする。

 とあるインタビューの中で、園子温は『ヒミズ』についてテーマとして「希望に負けた」という言葉を提示していた。絶望に希望が打ち勝つのではなく、むしろ絶望が希望に負けてしまう。これは一体どういう事か。映画の中で「言葉」がどういった扱われ方をしているかに注目すれば自ずと解る。

 3.11の震災以降、僕は特に詩の分野に於ける震災に対する言説に苛立を感じていた。名の知れた詩人達が被災地や被災者、遂には津波や地震そのものに対して、行分けした自由詩を読み上げて何か勝手に敬虔な気持ちになっていたり呪術者のような素振りを見せていて、「詩の力」みたいな物を乱暴に信仰して悦に入っているのが気に食わなかった(和合亮一の詩を始め例外の物も無論幾つもある)。とある現代詩のイベントに於いて壇上で震災に対する詩を朗読する諸氏を見て、詩を書く人間の端くれとして僕は強く反感を覚えた。

 園子温は最初から映像作家だった訳ではなく、芸術家としての出発は詩の分野からだった。元々詩人である園子温の映画作品を見ていると、それ故かヨーロッパの古い詩や日本の戦後詩が劇中に登場したり、そうじゃなくても台詞を聴いているだけで「言葉」というものに強く意識的なのが解る。
 『ヒミズ』は大雨の中、茶沢によるヴィヨンの詩の朗読から始まる。この詩は劇中登場人物によって繰り返し暗唱されるのだが、ではこの詩が『ヒミズ』という映画に於いてめちゃくちゃ重要な物かと言うと、そうではないと思われる。重要なのは主人公二人が所属しているクラスの担任(凡庸で感動しいで暑苦しい男)から発せられる次のような言葉だ。

 「夢を持て!皆、この世でたった一つの花なんだ!」

 例え詩を書いたり読んだりしている人でなくとも、思わず吹いてしまうような、汎用的で底が浅いステキな台詞。所謂"ポエム"と揶揄されるような言葉。この言葉を聴いた住田は「普通最高!」と強く反発し、茶沢もその教師の台詞を馬鹿にするように物まねするシーンがある。要するに映画の中でも"ポエム"的なサムい言葉な訳だ。
 しかしラストシーン、住田が茶沢と共に警察署へ出頭に向かう所で、茶沢が住田に向かってその台詞を叫ぶのだ。

 「住田がんばれ、夢を持て、たった一つの花だよ!」

 これは一体全体どういう事か。どうしてこのシーンで、"ポエム"扱いされていた言葉が
叫ばれるのか。どうして詩人・園子温はこの言葉をラストシーンに召還させたのか?

 東北大震災が起こり、園子温は映画『ヒミズ』の脚本を大幅に書き換えたという。曰く、今映画を撮るならば震災後の世界を描かなければいけないと。当初原作通りに映像化される予定だったが、それも大きく変更された。一番特徴的なのはラストシーンだろう。原作である古谷実『ヒミズ』の最後は、住田が自殺してしまう所で物語が終わる。映画では先述した通り自殺は行なわれず、警察へ出頭し人生を立て直そうとする希望に溢れたシーンで物語が終わる。

 震災直後の日本に於いて、住田という一人の少年が耐えられない絶望の中でふと現れた希望に救われる事も無く自殺してしまう物語。恐らく園子温はそんな物語は絶対に描きたくないと思ったのだろう。映画の中で最終的に自殺を免れる住田は、茶沢という希望に救われたというより、そのあまりにも強い希望、求めざるを得ない希望に「根負け」したように見える。
 そして希望に根負けして生き続ける事を決意した住田に、あのポエムめいた台詞が、希望そのものである茶沢の口から叫ばれる。住田もその言葉に激励され自分でも「がんばれ!」と叫びながら走って行く。最終的に主人公達に与えられた言葉は、ヴィヨンの詩ではなくあのポエムだった。ここで僕は、先述した3.11以降の詩人達の態度への苛立ちを思い出した。そうだ、そうだよと思った。限界的状況で巧みな修辞や比喩を用いた文学的な詩なんか役に立たない。物凄くプリミティブで汎用的でひたすら希望に満ち溢れた、「がんばれ」であるとか「人間はたった一つの花だ」という言葉しか発する事が出来ない。詩は負けざるを得ないし、それを認めるほか無い。
 これが園子温の言う「希望に負けた」という事なのだと僕は思う。

 映画『ヒミズ』のラストシーンはカッコ悪い。「がんばれ!がんばれ!」と叫びながら、顔をグシャグシャにさせて警察署へ向けて走って行く。フェリーニの『8 1/2』のように美しい名台詞で飾られる事も無い。全てがむき出しのまま希望へと駆けてゆく。そのカッコ悪さは「負けた」カッコ悪さだ。決して希望が絶望に「打ち勝った」カッコ良さでは無い。

 原作のファンはこのラストシーンに白けるかもしれないし、もしかしたら最後の最後で「がんばれ!」なんて叫ばれて興ざめする人もいるかもしれない。
 僕はこれでいいと思ったし、いやこうするしかないと思ったし、よくぞここまで「負けて」くれたと思った。つまらない詩を作って恍惚としていた詩人達よ、全員これを見て反省しろと思った。

 『ヒミズ』を見て園子温が、今まで映画監督としても好きだったけれども、「尊敬する詩人」の一人となったのは言うまでもない。



2012年8月18日土曜日

山下敦弘『松ヶ根乱射事件』


 面白かった。劇中、事はいろいろと起こるのだがほとんどの事が大きな展開には結びつかない。むしろその開かない蕾の群生が非常にジメジメしていて鬱屈していて、それが映像としての「地方集落の閉鎖的な生々しさ」を支えている。
 とにかく生々しい。誰も演技しているように見えない。是枝裕和『歩いても 歩いても』なんかも誰も演技しているように見えない映画だったけれども、『松ヶ根乱射事件』のそれは「ありのままの自然さ」ではなく「エグいほどの生々しさ」を感じさせる。血の匂い(血液であり血縁であり)、汗の匂い、精液の匂いが画面から滲み出てくる。

 タイトルは『松ヶ根乱射事件』だけれど、この作品で起こる主な事件は轢き逃げと、謎の金塊と生首の発見のみ。では乱射はどこにあるかと言えば、ラストシーンで警官である主人公が拳銃をそこらに発砲しまくる所にしかない(しかも恐らくは大して物も壊れてないし人が死んだりもしていないと思われる)。
 だけれどこの映画の主題はその乱射にある。あらゆる鬱屈に耐えきれなくなり遂には集落の水道に殺鼠剤を混ぜるテロまで企てるがそれも頓挫し、虚空に向かって拳銃を乱射して寂しいカタルシスを得る主人公。その「何もかもをブチ壊したい衝動と耐えきれない鬱屈」がこの映画の主題だと思うし、だからこそこの映画は『松ヶ根乱射事件』なのだと思う。

 山下敦弘作品は初めて見たけど、その魅力が解った気がするな。『マイ・バック・ページ』や『苦役列車』も見たい!

demioさんの『苦役列車』評
http://d.hatena.ne.jp/ganko_na_yogore/20120723/1343050822


アイドルの話(ももクロの思い出話)



 先日友人に誘って頂き、初めてスマイレージのライブを見に行きました。日テレで『汐博』という祭りが開かれていて、その中に設えられた「汐留AX」というイミフな(でも凄く良かった)ライブ会場でのライブでした。一時間のミニライブ。
 ハッキリ言って最高でした。ライブも超楽しかったし、フロアの盛り上がりもめちゃくちゃアツいのに見やすいというナイスな現場で(後で聴くとこの日は迷惑ヲタがいなくて素晴らしい状況だったらしい)、これは是非また来たいと強く思いました。僕はアイドルでも「ライブ感」が好きで、お台場でベリーズ工房を見た時のお膳立てされてる感じが個人的に好みでなかっただけに、スマイレージのライブは凄く刺さりました。

 スマイレージと言うとメンバーの派手な入脱退がトピックとして語られる事が多いですよね。初期メンバーは今もう二人しかいなくて、新メンバーが四人入って現在六人グループになってます。
 ここで話が飛ぶんですけど、ももクロから早見あかりが脱退した時の事を改めて思い出したんですよね。あれはグループのアイデンティティが揺さぶられるくらいの大事件だったと思うんですけど、あかりん脱退直後から休む暇無く六日間連続のトーク&ライブイベント(僕は有野さんの回と吉田豪さんの回に行きました。去年の夏ですが、あの頃はまだ当日券とかも出てた!)が行なわれた事が、やっぱり今のももクロを形作る上でかなり良い働きをしたのだなと思います。
 早見あかりはももクロの中でもラップ担当だったりライブでのMCをうまく回せたり、かなり重要なポストにいたんですよね。メンバーの精神的支柱にもなっていたかもしれない。そんなメンバーがグループから脱退したら、残されたメンバーに多大なる「喪失感」が打ち込まれるのは自明です。
 それは避けられない事なのですが、六日間連続のイベントはその喪失感を別種の物に変えたと思うんですね。休む間もなく(=喪失感に打ちのめされる間も無く)トークイベントとライブをさせる事によって、「重要なメンバーがいなくなってしまった、これからどうしたら良いのだろう」という観念的で不安の塊である喪失感ではなく、「彼女がいなくなって、これが出来ないから補填しなければいけない、これが出来るから伸ばしていかなければならない」という"実際問題としての喪失感"をメンバーに与えられたと思うんです。これはメンバーに自発的に戦う力を付けさせたとも言えるし、今のももクロの強みの礎になったと思います。

 初日は東京キネマ倶楽部の二列目で見れたので、異常な近さでライブ見れて楽しかったな・・・思えばあの夏から異常なスピードで人気が上がって行ったな・・・

2012年8月16日木曜日

ナイトイン新宿



 昨晩はエアプレーンレーベルA&Rの阿部さんとAFTOの福岡さんと新宿の健心流に行きまして、美味しい日本料理と共にたくさんお酒を頂きました。3時間の飲み放題ではしゃいだ後はゴールデン街のバーソワレに赴きまして、ウィスキーなんかを頂いて楽しくお話しして帰路につきました。突き出しのぶっかけうどんがとても美味しかったです。久々に酔っぱらって楽しかったですね。

午後ワールドと好きな映画



 この所早朝〜昼の仕事をやっているので午後に自由な時間が出来ています。作曲だの何だのをやるのもそうですが、ついついその時間で借りて来た映画を見てしまったりしています。僕が住んでる板橋にはレンタルショップが二つもあるし(TSUTAYAとゲオ)、埼京線に乗れば渋谷や新宿のバカでかいTSUTAYAにすぐに行けます。特に新宿のTSUTAYAにはかなりマニアックなバイヤー?がいるらしく、置いてある作品の中で僕が一番驚いたのは、『徹子の部屋』の寺山修司ゲストの回のVHSです。あまりに腰が抜けすぎてまだレンタル出来ていません。そんな凄まじいTSUTAYAが(ゲオに対抗したのか)旧作全てレンタル100円になってしまったのですから、金が無い僕が「そりゃたまらん」と映画を借りまくってしまうのも仕方が無いですね。

 ここ二週間くらいで借りて見た映画は大体こんな感じ。

鈴木清順『夢二』
ルシール・アザリロヴィック『エコール』
リー・アンクリッチ『トイ・ストーリー3』
ジャン・リュック・ゴダール『アルファヴィル』
ウェス・アンダーソン『ファンタスティック Mr.FOX』
ウディ・アレン『カイロの紫のバラ』
園子温『紀子の食卓』
アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』
アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』
デヴィッド・フィンチャー『ファイトクラブ』

 なんと言うか名作ばかりですね。エコールはちょっと期待はずれ、夢二は鈴木清順の大正三部作で一番疲れる感じでした。トイ・ストーリー3は三回くらい見て全部ボロ泣きして(笑)、ファンタスティックMr.FOXは「これが映画だ!」って興奮して、終戦記念日に偶然見た太陽の深い物悲しさに感動し...と縷々述べて行くとタルいので割愛します。素晴らしい作品ばかりでした!

 渋谷TSUTAYAに返すDVDが三本あるのですが、今日また板橋TSUTAYAに行って四本ほど借りて来てしまいました。

 アルフレッド・ヒッチコック『めまい』
 フランソワ・トリュフォー『華氏451』
 小津安二郎『東京物語』
 山下敦弘『松ヶ根乱射事件』

 また名作誉れ高い作品ばかりですね。僕が本格的に映画を漁り始めたのもここ数年の事ですし、見てない作品は山ほどあります。とりあえず近所で借りられる名作は全て借りてしまおう(何年かかるのか解らないですが)と思います。


追伸:
【パソコンにメモしてあった「好きな映画」一覧】

フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』『ローマ』『オーケストラ・リハーサル』
アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』
フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』『アメリカの夜』
ロマン・ポランスキー『ゴーストライター』
デヴィット・リンチ『ロストハイウェイ』
アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』
スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』『シャイニング』
ジャン・リュック・ゴダール『気狂いピエロ』『アルファヴィル』
ルイス・ブニュエル『ブルジョワジーの密かな愉しみ』
ウェス・アンダーソン『ファンタスティック Mr.FOX』
ゲオルギー・ダネリヤ『不思議惑星キン・ザ・ザ』
ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』
デヴィット・フィンチャー『ファイトクラブ』
リー・アンクリッチ『トイ・ストーリー3』
ディズニー『ドナルドのさんすうマジック』
鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』『殺しの烙印』
吉田喜重『エロス+虐殺』
寺山修司『田園に死す』
園子温『ヒミズ』『冷たい熱帯魚』『紀子の食卓』
北野武『ソナチネ』『アウトレイジ』
伊丹十三『タンポポ』
是枝裕和『誰も知らない』『歩いても歩いても』『空気人形』
黒沢清『回路』『叫』
松本人志『大日本人』